会社の忘年会で風呂の話になり、私が10年以上、牛乳石鹸だけで体も髪も洗っていると話したら「ありえない」ということで爆笑されるということがあった。大いに笑ってもらえて楽しかった。その人は牛乳石鹸は手を洗う石鹸と思ってるようで、体を洗うだけでもありえないのに、髪も洗ってる人がいるというのが信じられなかったようだ。今思えば薬用石鹸ミューズと間違えててたのかもしれない。ミューズは殺菌のための石鹸だ。
私が牛乳石鹸をつかう理由は安い、再入手が簡単、固形、時の試練を経ているの4点だ。新しい箱を開けた瞬間の匂いも好きだ。数ある理由の中でも特に固形石鹸であるということは重要である。固形だと残りの量が見えるので残量を気にするストレスがないし、詰め替えの手間がない。なかなか共感してもらえないかもしれないが、透明でないボトルで1プッシュごとに「あとどれぐらい残ってるだろうか。今回でそろそろ最後かも。最後だったら詰め替えか」と考えるのはとても嫌だ。固形石鹸なら1度まとめ買いすれば数年はもつ。詰め替えもない。
髪がゴワゴワになると言われるが、実際ゴワゴワになる。しかし、私の髪がゴワゴワだったとして私の人生がどうなるだろうか。私の価値が変わるだろうか。
今の世の中にはいろんなものの対処法、薬、修理方法などがありすぎる。米を研ぐ方法、神社の参拝の方法、サランラップを効率よく収納する棚など、調べれば本当になんでも出てくる。しかしその99%が自分や自分の所属する組織の価値を変えるものではない。むしろノイズである。
そういうどうでもいいものが溢れてる、そういうものに時間やお金を使えるというのはある種の豊かさだとも言えるので否定ばかりはできない。先日も門松づくりを少しだけ教えてもらったが、竹の向き、紐を巻く回数、竹の切る場所など少し聞いただけで山ほどルールがでてきた。一体門松にそれほど技巧を凝らすことができた時代というのはどんな豊かな時代だったのだと驚かされた。平和で時間があり、門松に大金を出す人がいて、職人が細部を競い合ったのだろう。いい時代だ。
自分の子どもにも何度もいう。長女は若いので「前髪が決まらない」「誰々の持ってる何々がない」「私だけどこどこに行ったことがない」などとしょっちゅういう。私もその瞬間の状況に反応してしまう感情は想像できる。しかし、たとえ前髪がゼロで丸坊主だとしても貴方の価値は変わらないことは絶対に忘れないでほしい。その前提で前髪が決まらないのを理由に泣くのは自由だ。
もちろんお風呂が好き、体を洗うのが好きという人は石鹸やシャンプーを選ぶことが重要かもしれない。でも私はそうではない。であるなら、風呂に関することは全て人生の誤差の範囲のことだ。誤差であるなら最低限の品質で、安くて、簡単に手に入る、時の試練を経た優れた道具を使うのがいい。
体臭が気になるという話もあったが、そういう場合は石鹸で対応しようとするのが間違っている。食べ物を変えることが体臭を変えるには重要だ。同じように皮膚の乾燥や、肌質なども食事や運動で改善するもので、徹底的に体の油分を落とそうとする石鹸のようなものに期待してはいけない。
人生には誤差なのに、そう企業が思わせないようにしてくるものが多い。気をつけて思考をシンプルにキープしておきたいものだ。
