2007年11月14日に@japo(id:japo99)が交通事故で亡くなってから18年がたった。
今日は命日なので夜のジョギングをかねて事故現場に行き、手を合わせてきた。
当時の新聞記事をみると26歳。そんなに前だったのかと驚く。私と同い年だったので、もし生きていれば43歳だと計算しなくてもわかる。
当時フリーランスでプログラマーをしていた私は岐阜から仕事で名古屋に出てきて2〜3年目だった。PHPで簡単なプログラムは作れるが、中〜大規模のプロジェクトは経験したことないというようなレベルだったので、修行を兼ねてアルバイトで通い始めたのが@japoの勤めていたメンバー5人ぐらいのベンチャーだった。最初にMapleというフレームワークを使ったプロジェクトにアサインされたのだけど、Mapleが採用していたDIContainerの意味がわからなかった。そこで、私の担当社員に聞きにいったら、私のレベルの低さに説明を諦められて「わからないならやらなくていいよ」と言われ、そこからアルバイトで時給がもらえるけど仕事はしなくていい日々が始まった。その社員もめちゃくちゃだったけど、私のレベルも低くて申し訳なかった。一ヶ月以上は仕事せずにはてブを見ていた。DIContainerはとにかくコードをじーっと見続けていたら理解できるようになっていた。
@japoは私の右後ろの席に座っていた。覚えているのは机の上がとてもきれいだったこと。毎日帰るときには机の上にはないにもない状態にして帰っていた。あってもマックのキーボードとマウスだけだ。常に開発環境の最適化をしていたし、キータッチにもこだわりがあって、数字のキーをブランドタッチできることを自慢されたのを覚えている。私いまだに5、6、7は自信がない。
プログラミングのスキルは同い年なのに@japoの方がはるかに上だった。私がわからないことを聞きに行くと毎回「なんでこんなこともわからないんだ」という顔をされた。私はその顔をみて自分にがっかりするばかりで怒りは湧かなかった。それぐらい差があった。
オフィスは古い一軒家をまるまる使った場所で、@japoは玄関の横や歩道にでかくて赤いドゥカティをおいていた。
本当はお酒を飲みにいったり、焼肉を食べにいったり、もっと思い出があるはずなのだけど、18年経って少しずつ忘れてきてしまった。それがこのエントリを書いてる理由でもある。
事故があった日は私はバイトがない日だった。夜に同じ会社の id:dominion525 とランニングをして、ガストかリンガーハットでご飯を食べてるときに「ちょっと言わないといけないことがあるんだけど、ランニングの後がいいかなと思って」と訃報を聞いた。
こんなに身近な人が亡くなったのは私は初めてだったのでどう反応していいかわからなくなった。変かもしれないけど最初に思ったのは「なんで自分より優秀なプログラマーが死ぬんだ」ということだった。当時あの瞬間、世の中で価値が高いのはあきらかに@japoの方だったのに、その彼の人生が先に終わってしまうというのがとても不公平に感じたのだ。
それから彼の通夜と葬式に参列させてもらった。三重の山奥といっていい場所で、山あいの川を車で上流に向かい、細い橋を渡り、田んぼが周囲にある数十件程度の集落の家。家のすぐ裏は山というような場所だった。私は岐阜出身なので見慣れた光景だが、私の@japoのイメージは真っ赤なドゥカティ、Apple製品を愛する都会的な人というものだったので、この川や山を駆け回る幼い頃の@japoを想像し、その彼が名古屋まで出てきて、優秀なプログラマーになり、これからさらに羽ばたいていけたかと思うと、その道がもう終わってしまったことに胸が締め付けられた。
ご遺体を前にご両親ともお話しさせてもらったが、当時は未熟で余裕がなく、ただ「僕よりできる人でした」というようなことだけを伝えてあとは話せなくなってしまった。 id:dominion525 が「彼が同い年で、一番ショックを受けてると思うんです」とフォローしてくれた。
@japoが亡くなったショックはしばらく続いた。覚えてるのは、そのあと彼のデスクに花が飾ってあったこと。もともと5人しかいない会社なのに1つのデスクに花が飾ってあるのはなんだかとても悲しくて会社に行くのが辛かった。どんなに優秀な人でも、若くても死ぬ時は死ぬし、死ぬと何もかもおしまいになる。身近な同い年の人の死から、少なくとも私は彼以上のスキルになる責任があるし、少なくとも@japoのご両親に胸を張れる人生にしようと勝手に心に決めた。
それから私の心の中には@japoがずーっと住んでいる。毎日思い出して全力を尽くしてるとは言えない。でも、最初の会社を設立する勇気がなかった時も、結婚した時も、子供が生まれた時も、会社を売却し、また新しい会社を始めた時も、@japoを思い出すし、その都度、彼の分を生きてるだろうか?2倍生きるならどういう選択が必要か?と@japoに聞いている。
私が親友だったかというと全然そんなことはないし、仲が良かったということが書きたいわけじゃない。ただ、私にはあの時誓った「彼の分まで生きてやろう」という前向きな気持ちが心にまだあるし、週に何回も彼のことを思い出してる。私はこの先この気持ちは忘れないだろう。そんなことを、他の @japo のことを思い出すことのある方達と共有できたらうれしい。
追記 2025/11/16 このエントリを書いたせいか、落ち着かなくなりお墓参りにいってきた。運がよくご両親とお話することもできた。@japoのブログのURLなどご両親が読んだことのないコンテンツをお伝えできた。私自身とてもスッキリできたし、喜んでもらえてとてもよかった。