「趣味は何ですか?」と聞かれると、私は少し、いやかなり構えます。
なぜかというと、自分がやっていることが「趣味」と言えるのかどうか判断が難しいからです。何が趣味で何が趣味でないのかわかっていません。自分が趣味と思ってる分野ほど、その分野のもっとすごい人の存在を知っているので「まだ趣味というほどやりこんでないよな」と思ってしまうのです。
例えばコーヒー。 毎日コーヒーを飲んでいたとしても、その上には自分で豆を挽く人がいる。さらに焙煎する人がいる。さらにコーヒーの木を育てている人もいる。
コーヒーを育てている人から見たら、自分が「コーヒーが趣味です」と言っていいのだろうか。そういうことを考えてしまいフリーズしてしまいます。
以前、美容師の方と話していたときのことです。
「私最近コーヒーにハマってるんですよ。スタバとかよく行ってて」
それを聞いて、私は少し驚きました。 それくらいでも「ハマっている」と言っていいんだ、と。
私の感覚では、それだけでは「詳しい」とか「趣味」とは思わないからです。
では、その境目はどこにあるのでしょうか。
私が好きな考え方があります。 プログラミング言語Rubyを愛する人たちは、自分たちのことを Rubyist (るびいすと)と呼びます。
そしてRubyistには、わかりやすく優しい定義があります。 それは「Rubyに対してお客様以上の気持ちを持っているプログラマーのこと」というものです。
Rubyを仕事で使うだけの人は、まだRubyistとは言えないかもしれない。 しかし、例えばこういう人はRubyistだと言えます。
- Rubyの言語開発に関わる
- Rubyのイベントを応援する
- コミュニティ運営に関わる
- 寄付をする
- SNSでRubyの良さを伝える
- 友人にRubyを教える
つまり、単なる消費者ではない人です。
この定義は、広いようでとても明確なラインを引いています。 「お客さんかどうか」です。
私はこの考え方がとても好きです。
そして、趣味も同じだと思うのです。
例えばコーヒー。 お店で買って飲むだけなら、それは私の基準ではまだ趣味ではありません。
それは単に、提供側が想定した通りに商品を消費しているだけだからです。 つまり、お客さんです。
しかし、そこから少し外れ始めたら話が変わります。
- 淹れ方を工夫する
- 焙煎してみる
- 豆を比較する
- ブログに書く
- 人におすすめする
こういうことを始めた瞬間、その人はもう単なる消費者ではありません。 何かを作り始めています。
情報でもいいし、物でもいい。 提供側が想定してなかった何かが生まれています。
何かを残したなら、その人はもう単なる消費者ではありません。 提供側・作る側に一歩足を踏み入れています。
もちろん、スタバに行くことを趣味だと言う人を否定するつもりはありません。 それはそれで楽しい活動ですし、どんな趣味も真似や消費から始まるものです。 私もそういう消費するだけの習慣はあります。
ただ、人生のすべてが「消費するだけ」になっていたら注意が必要だと私は考えます。
なぜなら、消費は楽しいのですが、 消費だけでは何も残らないからです。
意識して受け取る側から、作る側へもバランスをとる。 瞬間的にお金で帰る楽しさと、少し手間はかかるけど深く残りやすい楽しさと両方あるのがいいですね。
(客以上の活動として「人におすすめする」というのを書きましたが、アイドルの押し活などは難しいラインです。なぜならアイドルのプロデュース側は推し活ももはや消費行動の一つとして想定して全体を作ってるからです)